2020年1月号

 

こんにちはハレルヤ音楽部です

             仲田 康子

 

「ハーレルヤ♪ ハーレルヤ♪」誰もが一度は耳にしたことのあるメロディー。私たちは五年前、倉吉西高創立百周年記念式典でこの「ハレルヤ」を歌うことで出会えた倉吉西高の同窓生です。三十数年前の卒業生約四十人が式典で「ハレルヤ」を歌おうと集まったのです。練習したのは五ヶ月間で十回程度でしたが、各自が色々な方法で自主練習を行いました。当時教鞭を執って下さった先生方にも指導していただき、まるで高校時代の合唱コンクールが蘇ったような熱く楽しい時間でした。そしてこの出会いをきっかけに結成されたのが「ハレルヤ音楽部」です。

現在会員二十名。活動しているメンバー十二名と、応援してくれるサポーター八名が「音楽を通して地域に貢献できるステキな大人」を目指して、ミニコンサートへの参加や施設訪問等の活動をしています。とは言っても・・・地域に貢献?ステキな大人?まだまだ遠い道のりです。先ずは私たちが楽しまないとお客様も楽しくないだろうと、お客様と一緒に歌ったり、ハンドベル体験をしたり、もちろん私たちの「ハレルヤ」コーラスも欠かせません。そして、将来楽器の演奏やオペレッタもやりたいと大きな夢も抱いているのです。

私は音楽が大好きです。音楽好きな両親のお陰でいろいろな音楽を聴いたり、楽器にも興味をもったり、高校時代は吹奏楽部に入りました。ただ、歌うのはとっても苦手です。歌うことにはずっと背を向けていました。その私が卒業して四十年経った今、当時は知らなかった人たちとこうして一緒に歌を歌っている。まさに奇跡で「ハレルヤ!」です。

私たちはもうすぐ還暦を迎えますが、仕事でも家庭でもまだまだ忙しい年齢です。いろいろなストレスを感じながら日々過ごしている中で、ハレルヤ音楽部はストレスを感じない場であって欲しいと思っています。長続きの秘訣は無理をしない事。もちろん家族の理解と協力があってこそですが・・・

さて、ハレルヤ音楽部の次のステージは、十一月三日「倉吉淀屋わいわいコンサート」です。私たちは結成以来毎年この倉吉淀屋のコンサートに参加しています。倉吉に現存する最古の町家建物です。江戸時代中期に建てられた主屋と江戸時代後期に建てられた数寄屋風書院造りの付属屋。江戸時代迎賓館としていろいろなお客様をもてなしたといわれる付属屋で、深まりゆく秋を感じながら皆さんと一緒に、わいわい楽しい時を過ごしたいと思います。


2020年2月号

 

「縁」

  藪椿きょうこ

 

還暦を過ぎ、最近「縁」ということを考えさせられる。私は大学卒業後すぐに就職し、数年後には結婚、出産と充実した日々であった。

フルタイムの仕事に加え、趣味のお茶など欲張っていたある日、同居の義母が腸閉塞で手術、介護と子どもたちのことは後回しになってしまった。

その上家の新築まで取り掛かってしまい、娘からは今でも「お母さんは『パータンに行こう』と言ってもいつも忙しいとか疲れたとか言って私のことをかまってくれなかった」と言われる。それでも優秀な娘に甘え、息子もおとなしい子だったのでなんの問題もなく(と勝手に思っていた)小学校時代は過ぎた。

義母は4年間の闘病、介護生活の末あの世へと旅立っていかれた。

 娘は中学校へ進学したが、1ケ月もたたずして不登校になってしまった。それまで健気に振る舞っていたのがぷつんとエネルギーが切れたのであろうか。

真っ暗闇のトンネルに入り込んでしまったような私の前に「倉吉トトロの会」との出会いがあった。会長さんはじめ皆さん、「のんびり、気長に」といつも笑顔で

温かく迎えてくださった。

 「Yさんもこれで終わりだな。」と当時の校長は他人事のように言い(いきなり女子生徒3人が不登校になったのに)今なら「それでもあなたは教育者か?!」

と声を上げたと思うが仕事など自分のことで精一杯だった。

近年、不登校生はますます増えているそうだ。12月「子どもの学びと不登校を考える鳥取県民のつどい」に参加した。テーマ ~子どもを真ん中にして子どもファーストの学びへ~に向け多様な模索がなされている。グループ討議の中である方が「文科省は学校復帰を最終目標としないと言っているが年間16万人もの不登校生があるということは、すでに欠陥があるにも関わらずその製品を売り続ける企業のようなもの。」と批判された。

劇作家の平田オリザさんは、豊岡市が導入した小中一貫教育の「ふるさと教育」「英語教育」「コミュニケーション教育」の中で演劇を使った授業を指導しているそうだ。

霞が関の「企業、資本、東京の論理」から「生活の論理」へと、子どもたちの学びの場を取り戻す試みがなされているという。

まず自分を大事に、意見が表明でき、仲間と文化、芸術を楽しみ、気候クライシスなどのグローバルな課題も考え行動できる人を育てることが重要ではないだろうか。

 いつまでたっても深み、高みには達しない私ではあるが、多くの人との出会い、縁を大切に歩んでいきたいと思うこの頃だ。(倉吉トトロの会)


2020年3月号

 

幸せな写真  

 渡辺 誠

 

  1988年に89才で死去した写真家、塩谷定好を師と仰ぐ我が写人山陰菊里会も、会長の新勝人を始めメンバーが高齢化で活力の衰えを感じるこの頃です。

しかし私は、写真は歳と共に深くなって熟成するのだと感じます。また、そうありたいと願うのです。長年の作品の集積は、写真家の人生をパノラマの様に映し出していくのですが、それを美しく感動的に輝かせたいと思います。それは写真人として、冥利に尽きるのです。

 我々の会のメンバーは、独特なイズムがあって、それは塩谷定好さんのイズムだと思うのですが、ピクトリアリズムと云うのでしょうか、写真の草創期、絵画を模倣したような時代。いわゆる「芸術写真」と云う言葉が、会の会合でも出てくるのですが、写真は芸術でしょうか?「写真は写真である。」とも言われるのですが、そういう議論が以前からあったと記憶しています。

 私の眼の前に「愛しきものへ」と云う塩谷定好さんの写真集があるのですが。写真の機材や感光材も、今ほど良くはないので、解像度も悪く、収差で滲んだりぼけたりします。手ぶれ補正なんかない時代、低感度でぶれたり、三脚でじっくり構えないといけなかったり。定好さんは、それを表現の武器にしていたように思います。それが、云わば「芸術写真」だったのかと思うのです。写真は科学技術の進歩と共に形を変えてゆくのです。

 現代はデジタル化の中で、シャープで綺麗な写真が簡単に写せます。しかし以前の写真の様な芸術性はあまり感じないのです。写真は写真なのだと主張するかのように緻密で、それは現実をコピー-することに終始するかのように思えます。

 有志は、敢えて、昔からのフイルムを使ったりします。デジタルに比べてもコストがかかりますが、それも通なのでしょうか?懐かしい、しっとりとした写真らしさは、昔からのフイルムがいいのです。

私は、写真の原点は、白黒のフイルム現像や、暗室に籠っての引き伸ばし作業、ああいうアナログ的な作業だと思うのです。

 私は、多忙な生活のスタイルに、デジタルが合っているのでデジタルを使うのですが、デジタル写真もパソコンを使った作業で、フイルムと見まがうようなプリントが出来るのです。

このエッセイを書きながら、娘がスマホのアプリを使って注文した小さな写真集を見せてくれました。驚く程安価なこの写真集は、中々良く出来ていて、娘の写真もスマホながらツボを押さえてよろしいのです。誰でも写真を楽しめるのだと、つくづく思います。新しい映像表現の時代なのだと感じます。それは、より自由で幸せに人間が生きることの表現であって、それ以上に大切な価値を私は見出せないのです。それを受け止めるのは私たち自身でしょうか。感性で心を豊かに広げ、成長することに無償の喜びがあって、人生や未来を豊かにするのだと私は信じるのです。(写人山陰菊里会会員)


2020年4月号

 

シェーンベルク作曲「ワルシャワの生き残り」に寄せて

 鳥取オペラ協会 吉田章一

 

アルノルト・シェーンベルク(1874―1951)作曲の「ワルシャワの生き残り」という作品は、何としても後世に伝え残したい音楽である。

この曲の主題は「ナチスによるホロコースト」であり、ワルシャワの収容所で生き残った人の体験談がストーリーになっている。歌詞はシェーンベルク自身によるもので、地の文は英語、ドイツ軍曹の台詞がドイツ語、最後の合唱ユダヤ教の祈祷文「聞け、イスラエル」がヘブライ語である。シェーンベルク自身もユダヤ系で、ナチス・ドイツを逃れてオーストリアからアメリカに亡命している。つまり、自身のルーツの言葉、母語、生活言語が使われているのである。

この曲で用いられている12音技法は、ホロコーストの状況や、当時の様子・雰囲気、人々の精神状態を見事に表現している。また、旋律の無いナレーション(シュプレヒ・シュティンメ)も、人間の暗い部分や極限状態をうまく表現する手段として、旋律のある歌以上に適している。

この音楽が表すものは、例えば語り手が語る、ナチスによるユダヤ人へのひどい仕打ちであったり、迫害されたユダヤ人の苦痛であったり、そういった現実的ものでもある。軍隊のラッパ、殴る音、喘ぎ呻く音などが、語り手の語るストーリーに合わせてリアルに表現されている。

そして何と言っても、この曲のクライマックスは「聞け、イスロエル」の大合唱である。ガス室へ送り込まれるユダヤ人たちが、点呼を取っている最中に、突如起き上がってこの歌を歌い出すのだ。

初めてこの曲を聴いたときに最も衝撃的だった部分である。この合唱も、12音技法でできており、聞きなれない不思議な旋律は、遣り場のない感情の爆発を作り出している。

私は、以前、あざれあのまち音楽祭でこの曲を取り上げ、一人でナレーションと合唱部分を歌った。歌っていて自分自身がVRのように歌の場面の中に身を置いている様に感じた。ラッパの音、仲間の呻き声、ドイツ兵の足音が迫ってきて、最後には合唱部分を歌い出さずにいられなくなった。

こんなにも、「これは後世に残さなければならない」と感じさせる音楽はない。


2020年5月号

 

アザレア音楽祭には5/24に登場!

 河田 強

 

 1986年(昭和61年)12月に設立された打吹音楽倶楽部ブレーメンも34年目を迎え、今まで多くの団員が入れ替わる中、指揮者としてずっと音楽監督していただいている吉田知子さんや、団運営に携わってくれた尾崎正平さんはじめ多くの皆様の支えがあって続けることができたと思います。中学・高校と吹奏楽に触れ、楽器を演奏する楽しみを社会人になっても続けたいという想いで設立されてから、たくさんの団員が関わり、いろいろな所でたくさんの演奏をしてきました。

アザレア音楽祭2020では昨年に続き会場をBYホールに、時間は夕方からのコンサートを企画しました。1990年から毎年5月のパータン・コンサートがすっかり定着し、固定ファン(?)もいらっしゃるようで感謝しています。昨年から団員の地域活動や行事等もあり趣向を変えての開催となります。新型コロナウイルス感染症の影響で練習を自粛したりと厳しい状況下ですが、今回も楽しい企画としましたので、予定通り開催できることを祈っています。

定期演奏会バースデーコンサートも今年第33回を迎え、また新たな歴史を刻んでいきたいと思います。毎回、テーマやストーリー性を持って選曲してプログラムを考え、団員各自の能力・才能を最大限に引き出す等の工夫を重ねています。

今後も、たくさんの方に感謝し心新たに、演奏する自分たちの楽しみだけでなく、聴いて頂く方々も楽しくハッピーにできる演奏を心掛けていきたいと思います。団員はいつも募集していますので、一緒に楽しみましょう。引き続き、倉吉市民はじめ中部地区の皆さんに応援いただけたらと思います。

ぜひ、5月24日(日)はBY(ビーワイ)ホールへ

12月6日(日)は倉吉未来中心大ホールへお出掛けください。ブレーメン共々、よろしくお願いします。(打吹音楽倶楽部ブレーメン 団長)


2020年6月号

 

竺原 均

 

 昨年の10月より夜間勤務を仰せつかっています竺原 均と申します。宜しくお願い致します。

 やっと半年が過ぎましたが、その間ご利用の皆様にはいろいろご迷惑をお掛けしましたし、現在も不慣れな対応に戸惑いながらも、皆様の温かいご指導とご支援を頂きながら何とか今日に至っています。本当に感謝しております。

 夜勤という事で 昼間来館される方には馴染みが薄いと思われますので、この紙面をお借りして少しだけ自己PRをさせて頂きたいと思います。

 まずは、センターの印象ですが、この小さな田園都市なのに実に多くの方々が、多種多様な趣味に個人で、サークルで、グループで仕事の合間に、家事の合間に楽しんでおられる姿を見て正直驚きました。

 私は元々転勤族で、高校卒業後上州高崎から横浜、浜田、防府、岡山、庄原、鳥取等ほぼ2~3年で転々とし40年以上根無し草のような生活を続けていました。

 その間、道路の技術者としてトンネル、橋梁、バイパス、筑波研究学園都市、河川、ダムの建設に従事してきました。

 地元の鳥取では鳥取自動車道、駟馳山バイパス、倉吉では犬挟峠道路、国道9号の青谷・羽合道路、米子道路の建設に携わり悪戦苦闘の連続でしたが、今日では全路線が開通し、それらの道路を通行するたびに当時の思い出が蘇り、地図に残る仕事をしてきたなあと感慨深いものがあります。

 余談ですが犬挟峠トンネルの岡山県側の坑口付近の上には建物があります。気付いている方もおられると思いますが、実は元々あの付近を小川が横断する形で流れていましたが、国の天然記念物のオオサンショウウオの生息地で、文化庁より保護するようにという要請(指導)があり、トンネルをどうするかで大騒動でした。

 工事は現地盤(原野)を計画道路面まで掘り下げ、コンクリートでトンネルを作り、その後土砂を埋め戻し小川を復元したものです。専門語で言えば「明かりトンネル」と言い、もう一つの例が国道9号の駟馳山バイパスの鳥取側坑口付近で、ラッキョウ畑を潰さないようにと農家から要請があり、同じく砂地を掘り下げて四角いトンネルを作りまたその上に砂を埋め戻してラッキョウ畑を復元した「明かりトンネル」です。

 こういうエピソードを上げればキリがありませんのでこの辺で割愛させて頂きます。

 定年後の現在は、地元になじめるようグランドゴルフや自治会活動等に顔出ししています。また、趣味なのか微妙なところですが米(コシヒカリ)と柿10本程度、野菜を少々作って農家のまねごとをやっています。野良仕事ばかりではなく、ほかにクラシック音楽や推理小説もたまに楽しんでいます。このセンターでも音楽関係の方が多く来館されますが、中学のころブラスバンドでトランペットを吹いていたのを思い出しては、皆さん頑張ってくださいと心の中でエールを送っています。

 鳥取の田舎町に住んでいると引っ込み思案になりそうですが、仕事を終えた後、夜遅くまで趣味に興じている皆様の情熱を少しでも見習い、濡れ落葉、ワシ族にならないよう、いろんな事に興味を持ってやってみたいと思っています。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。


2020年7月号

 

鬱だった私が、自力で健康になる方法をココで広めたい

 自力整体と顔ヨガdikara(ぢから)石丸智美

 

 毎週土曜日の午前中に、リフレプラザ倉吉さんの2階をお借りして『自力整体教室』を開催しております石丸智美と申します。

 【自力整体】とは"自分で自分の身体を整体する"方法で『動く瞑想』とも言われています。

 私がこの【自力整体】に出会ったきっかけは、自己肯定感が低く精神的に弱くて、引き籠もりや鬱で人生を諦めた生活を送っている時に「お金をかけずに【自力】で【整体】が出来たら良いのに」と、インターネット検索で探したものがズバリ【自力整体】でした。

 実際に自力整体をした翌日は「肩が羽が生えたように軽い!」。半年続けると坐骨神経痛の痛みがなくなりました。身体を癒やし、ユルユルと整える事で整体へと導かれた結果でした。

 それから紆余曲折あり資格を取得して、リフレプラザ倉吉さんで教室をさせていただくご縁を戴きました。

 今使わせていただいているお部屋は音楽室です。カーテンを閉めて薄暗くしています。

 薄暗くすると副交感神経が優位になり、血圧が下がって心拍数も少なくなり、リラックス状態になります。瞑想と同じ状態です。

 また、暗くすると目に見える情報『視覚情報』が減るので、より自分の身体に意識を向けることが出来ます。

自分の身体を見つめ、ほぐしていく時間に音楽室はピッタリでした。

 生徒さんはいつも頑張っておられる方ばかりです。その頑張りは不調という『勲章』となって表れています。

 また意識が高い方ばかりで、健康になる方法を色々とされている中で自力整体に出逢われた方々が教室に通って下さっています。

 自分で不調が改善出来、整体院に通うより安いのも良い様です。

 また、変顔で表情豊かになる【顔ヨガ】も少し取り入れているのが楽しい様です。

 施設の方々と他愛ないお話をするのも楽しみの一つです。この新型コロナウイルスの貸し館中止前は、施設の方が毎回換気をして下さってとても有り難かったです。

 今は貸し館中止となり、自力整体教室はオンラインで開催していますが、

「オンラインは無理なので教室が再開したら参加します。」という生徒さんが多いので、貸し館が再開したらすぐに教室を再開します。

 【自力整体】は30年以上の歴史がありますが、鳥取県ではまだまだ知名度が低いのが現状です。リフレプラザ倉吉さんでの【自力整体教室】で、自力整体の良さをお伝えし広めていきます。 


2020年8月号

 

ダンスで元気と勇気を発信

高塚新司

 ダンスTUBEは毎年秋に開催して、今年で12回目となります。ダンスする人たちを応援し、発表の場を作りたいという思いから始めましたが、発表する場だけでなく、褒められたら嬉しいだろうに、という単純な発想から賞をもうけたコンテストとしてやっています。最初は手探り状態から始めたので、賞に関してもいろいろ失敗もあり試行錯誤しながら今に至っています。

2016年7thの表彰式でグランプリを獲得したチームのメンバーがステージ上でずっと大泣きでした。ステージの端で僕はそれを見ながら、初めはちょっと気恥ずかしく照れくさい気がしましがだんだんこっちも胸がジーンとしてきたのを覚えています。こちらはスタッフとして、いろいろ気を配りながら運営するのに精一杯で、気持ちの余裕もなかったけど、このチームの小学生から高校生5人の子どもたちの号泣する姿を見ていると、さすがにこっちも胸がジーンとしてきました。後になって、そんな場面を作ったこのダンスTUBEも捨てたもんじゃないな、むしろそれってすごいこと(素晴らしい)ことでないかという気がしてきて、嬉しくもなり若干誇らしくも感じました。それ以降の表彰式では涙を見るシーンが多くなりました。去年の11thでは受賞した5人組の子たちが号泣していた。あんなに多くの人の前で(アロハホール満杯の観客)あんなふうに泣けることって本当に素晴らしいことだなと思いました。

ダンスに限らず様々な表現活動においてテクニックは、その表現の幅を広げるという点で基礎的なことで一番大事なこと。例えば3回転よりは4回転の方が、テクニックが必要でそれだけ表現の幅も豊かになる。が4回転する人が何人かいた場合は、テクニックだけではなく、それ以外の何かが必要になるのではないか。そのひとつとして、どう練習してきたか、挑戦してきたのか。テクニックも含め、出来なかったことに対して練習を繰り返し、出来るようになる。この4回転にどう向き合ってきたのか、向き合っているのか。極端に言えば、どう生きてきたのか、生きているのか、すなわち人間性が現れるのではないか、と考えます。

確か20年ほど前に、たまたまテレビで日本音楽コンクールの番組を見ていて、その中で作曲家の三善晃という人が「音楽の後にも先にも、その人の人間性というものが見えてくる」ということを言われた。その時はどういう意味かぜんぜん分からなかったが、先のようなことなのかと思うようになりました。

もちろん涙の意味はたんに自分が頑張って練習してきたことだけでなく、チームや周りの人たちのことや他の様々なことによるものでしょう。

ダンスを通してそれぞれが可能性に挑戦し努力する、そのことで各々が成長することが出来る。そしてその場にいる人たちと歓びを共有する。ダンスTUBEがそんな場になればと思うし、それを目指したいと考えています。

今年は新型コロナウィルスの感染拡大が発生し、この先どういう状況になるか分からない。10月25日にダンスTUBE12thが開催できるか心配です。いまはみんながそれぞれの立場で厳しい状況ですが、そういう時こそダンスで元気と勇気を発信できたらと思います。

ダンスTUBEプロジェクト「鳥取HAKKA」代表


2020年9月号

 

既にあるものに目を向けること

吉田尚子

 窓から爽やかな風が入ってきて初夏の始まりを感じる中、今この原稿を書いています。

私は鳥取県中西部地区を中心にヨガ講師として働いております。普段当たり前に開催出来ていたヨガクラスも、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、しばらく自粛。その間、自分自身と向き合いながら色んな事を考えておりました。そういう方はきっと多いのではないでしょうか?

ヨガの教えの中に「On the mat , Off the mat」という言葉があります。これはマットの上で行う練習と、マットを出た日常生活で行う心の練習のことを意味します。「ヨガ」と聞くと身体を動かすイメージが一般的ですが、ヨガの本質的なゴールは自分自身の心をコントロールすること。ヨガクラスが開催出来ない今、まさに「Off the mat」の実践となりました。

私がこの自粛期間中に特に強く意識していたのは「サントーシャ(知足)」という教えです。“既にあるものに目を向けること”“既に足りているということに気づくこと”です。

新型コロナウイルス感染が拡大し始めた頃、アルコールやマスク、トイレットペーパーまでもスーパーから姿を消しました。「〜がない」が世の中に溢れていたように思います。

「出かけられない」「友達に会えない」「人がこない」「仕事が出来ない」「あの人にはあって自分にはない」・・・人は「ない」ものに意識を向けるのが得意な生き物と言われています。実際私も最初はそうでした。仕事が出来ない、この状況がいつまで続くかわからない不安。「ない」という心は不安や焦り、時に奪い合い、争いを生み出します。でもこの世界には同じように「ある」ものも存在している事を忘れてはいけません。マスクがないから「ある」布でマスクを手作りされる方も多くいらっしゃいました。「ある」時間を使って、ゆっくり読書をしたり、新しいことを学んだり、家で出来る趣味を見つけられた方も多くいらっしゃいました。実際私も対面でのヨガクラスが出来ないので、「ある」パソコンを使ってオンラインでのヨガのクラスを始めました。沢山の生徒さんが参加してくれて、どんな形であれクラスを開催できることの有り難さを噛み締めました。また新しい働き方の可能性をいただけたように思います。

「ある」という意識は心にスペースを生み、与える心や感謝、人生に豊かさをもたらします。与えられた環境(不安)を受け入れ、既にあるものに目を向け、自分が今できる事を精一杯行うこと。そうやって前に進んでいる人たちの姿に私も勇気付けられ、背中を押されながら今日も一歩ずつ歩んでいます。コロナが落ち着いた後、今よりもっと強く優しい自分に成長できていることを信じて。また、この経験を誰かの役に立つように活かせることを信じて。

この状況が落ち着いたらどんな世界が待っているのでしょうか。この大きな障害をみんなで乗り越えた後の世界は、これまでよりも素晴らしいものになっているといいなと願っています。自分が持っている強さを、誰かを攻撃するためではなく、誰かを思いやれるように、役に立てるように、そんな風に使えるような世の中になりますように。

(Moana yoga 主宰)


2020年10月号

 

柏原裕美

アロハ〜!

ハワイアン・フラの教室「ハーラウ・オ・カ・プウ・ヴァイルア 」主宰のYumiです。ハワイ語で直訳すると「山の頂を目指すスピリットを持った教室」と言う意味です。

3年前に岡山の先生から、指導者10年の節目として独立を勧められたのを機に、ハワイ島ワイメアに住むフラの先生から名前をいただきました。ハワイと日本の二つの心を持ち、ハワイの伝統文化「フラ」を大切に伝えて欲しいとの思いを込めて付けて下さいました。(元の「フラ・ファミリー」の名前の方が、馴染みのある方も多いと思います。)

私が「フラ」に出会ったのは約17年前。きっかけは…いくら考えても思い当たらないのです。ただ何故か「フラ」をやりたい!フラなら歳とっても続けられるから〜と、お気楽にフラを楽しむつもりが、岡山の先生から教室を任され、フラを指導するようになってからは、ハワイ語はもちろん、ハワイの歴史や文化を学び、ハワイアンミュージックやウクレレも勉強し、フラの奥深さに感動しながら今でもやはり勉強の日々が続く…そして感じるのは、あ〜もっと勉強の仕方を勉強しておくんだった…と(笑)

倉吉で教室を始めてからは約13年。色んな出会いがあり、沢山の人に助けられて今の教室があります。そんな環境を与えてくれた家族、そして周りの全ての方々に感謝 感謝の日々です。その感謝を忘れず、岡山の先生やハワイの先生から教えていただいた、ハワイの伝統文化としてのフラを継承し、「アロハ」の意味から皆さんに伝えています。

そして、フラを始めてから踊りだけではない、色んな大切な事に気付かされました。

初めてハワイ島に滞在した時の事です。そこは、風の音と波の音と鳥の声しか聞こえませんでした。太陽と共に目覚め、太陽が沈むと共に寝る…そんな自然体の彼らと生活をする度に、私達日本人の贅沢さや自然を無視した普段の便利な生活が当たり前ではないと言う事に毎回気付かされます。都会にはない田舎のよさ!ハワイ島に行って、初めて鳥取の良さに気付かされました!

自分が生まれ育った町、そして今生活をさせてもらっている土地を愛する事の大切さ。

日本の文化を知らずして、ハワイの文化を勉強する事の難しさも教えられました。

ハワイの人達が大切にしている事に、「祖先を大事にし、祖先から受け継いだ大地や年配者を敬う心。」日本人の私達にも通じる思いがありますよね。これからも、日本人である事に誇りを持ち、ハワイの文化であるフラを継承していきたいと思っています。そんな素敵な世界を、是非一緒に体験してみて下さい!

いつでも見学・体験ウェルカムですよ。エ・コモ・マイ!

(ハーラウ・オ・カ・プウ・ヴァイルア)


2020年11月号

 

「連合展」招待作家をお受けして

 田中廣子

 この度のお話をいただいた時、私は、大変光栄でもあり、恥ずかしくもあり、私で良いのだろうかと思いました。悩んだ末、昨秋、リフレギャラリーで個展の際お世話になった倉吉文化団体協議会会長の計羽先生や事務局長の恩田さん、更には連合展実行委員長の中川端月先生の顔が浮かび、温かいまなざしを感じ、決心しました。

 ここで少し私の紹介を兼ねて、絵に対する思いを書かせていただきます。私は、この鳥取県に親戚は勿論のこと誰ひとりの知り合いもなく、心細い思いでやってきました。夫は、毎年の同窓会など地元の縁をベースに生きているのに対し、私は根無し草のようでした。でも子供たちに少し手がかからなくなったころから、趣味の油絵を再開し始めました。倉吉の市展には、昭和57年頃から出品しましたが、出品既定の最小の大きさでした。そこからは、だんだんと大きくなっていきました。その根底には、大げさに言えば、自分がこの倉吉で一年一年生きてきた証となるに違いないとの思いがありました。なので、毎年欠かさずに今も出品し続けています。毎年、市展の会場でお目にかかる先生方に、ワンポイントアドバイスをいただいたりして、ありがたく感謝しています。見ず知らずの私に温かく声をかけて下さった時の感激は、忘れられません。その中で、故米本一郎先生と坂野眞人先生の教えは、とても貴重なもので、今もずっと心に刻んでおります。

 このたびの連合展の出品作ですが、ここ十年余りの最近作を揃えました。2006年11月から、現在、日展理事、日洋会理事長の「小灘一紀先生」の絵画教室の門をたたきました。先生は凄く勉強熱心で深い造形美にたけておられ、古事記をテーマにした連作を描かれています。私たち生徒への指導も素晴らしく、この私も何とか制作を続けることが出来ています。

 皆様にご高覧頂く作品は、全て小灘先生のご指導のもと制作したものです。倉吉市展、県展、日洋展、そして鳥取県美術家協会展の中から選びました。

 私が絵を通じて表現したいことは、命の大切さ、母と子の普遍的な愛、人と人との絆、子供たちの生命の輝きです。まだまだ未熟ですが、この機会に皆様に見ていただき、御指導御鞭撻を賜りますように、心からお願い申し上げます。

付記

 私は版画の制作もしています。きっかけは、体験教室に参加した時に、私と同じ上北条地区にお住いの板画院評議員の綾女知廣先生に声をかけていただきました。白黒の木版画の魅力に、またたく間に見せられ、洋画と共に制作を続けています。テーマは洋画と同様です。2011年の東日本大震災から受けた強い衝撃で制作した「母と子の悲しみ」は、洋画では表現しきれない黒白の木版画の作品です。しかし、不器用な彫の仕事で、もっと上手になりたいと思っています。

 話を洋画に戻すと、私は10代の頃、日展参与・一水会顧問の田中春弥先生に指導していただいていましたが、「田中さんは、不器用だね。一水会はアカデミック主流なので、基本を学びなさい。その上で、不器用がプラスとなる絵を描けるようになる。」とおっしゃいました。現在の私は、その不器用さゆえに、大いに悩み苦しんで制作していますが、ここ鳥取県で出会った素晴らしい諸先生方のご指導により、絵や版画を学ぶ楽しさ、有難さを、しみじみと感じています。心から感謝しています。 


2020年12月号

 

暮しの中にパッチワーク・キルト

北村祐子

 令和2年になり、突然、新型コロナウィルス感染症で、外出もままならず、生活もマスク、手洗い、各種行事も中止と、はー暮らしが変わってしまいました。しかし、私は趣味のパッチワーク・キルトで、布と針を持つことで長い一日を過ごすことが出来ました。

 パッチワーク・キルトは、四角、三角、円、幾何学模様でパターンを作り、夢幻の広がりで、ベットカバー、タペ、バック等、暮らしに役立つ作品を作ります。

 様々なカラーで、布で作品が出来上がった時の喜びは、半年、一年と長い間の日々がむくわれる、瞬間です。

 宇田川キルト倶楽部に入会して、長い年月が経ちました。キルトに出会い、先生の指導のもとに、素晴らしい作品が出来るたびに、感動と、感謝です。生徒一人一人の個性を重視した指導に、一つとして同じ作品がなく、仲間とともに、続けた趣味のキルト、楽しいサークル活動が、私の人生に、元気をもらって、イキイキと毎日、過ごすことが出来ました。

 このコロナ時代に、不安もなく、家で毎日針を持っています。

日々の暮らしに、布と針をもち、一針一針その過程を、楽しみながら色とりどりの布に癒されながら、過ごす毎日です。

これからも、サークル仲間とともに、先生の指導のもと、キルト作りにがんばって、いきたいと思います。

(宇田川キルト倶楽部)


2021年1月号

 

ヨガは自分を愛すること

山﨑あい

はじめまして。こんにちは。AⅠヨガの山﨑あいと申します。この度ご縁をいただきまして、入会させていただきました。宜しくお願いいたします。

私は現在倉吉でヨガの指導をさせていただいています。

小さいお子様から、シニアの方まで幅広くお楽しみいただいております。

私がヨガに出会ったのは今から18年前、上京し慣れない看護学生生活とアルバイト、ダンサーの夢を持ちレッスンに明け暮れていました。倉吉では触れられなかった生の舞台、エンターテイメントに、寝る間も惜しみ、吸収したい、体感したい、表現したいと若さもあるでしょうが、夢中でした。

看護師として働きながらもオーディション、オーディション。劇団に入団後そんな生活を何年も送りました。

仲間と競い戦い、役を勝ち取る。また次、また次と自分を見失っていきました。

怪我をきっかけに心がポキッと折れてしまいました。そんな中、出会ったのがヨガでした。ヨガは呼吸、ポーズ、瞑想と自己との向き合いをはかっていきます。とても静かに自分を客観的に見た感覚でした。今までやってきた事は全く無駄ではないが、自分の限界や、自分を大切にすることを見失っていたことに気づきました。

それからヨガの資格を取得し、舞台を目指していた夢がヨガ・インストラクター、看護師との両立と変わっていきました。ヨガ講師、レッスン指導と経験を積み重ね横浜で独立。長男の出産を機に7年前、倉吉にⅠターンして戻って参りました。

ヨガはあらゆるプロ、アスリート、芸術家等も取り入れているプログラムです。どんな職業、どんな環境にある方でも必要とされています。

忙しい人だからこそ、自分と向き合うこと、ヨガを行うことで、日常のパフォーマンスが向上していきます。

自分を大切に、自分を愛することで人生に余裕を持ち、自分の人生を豊かにしていく。

頑張りすぎている自分に気付いたり、見えなくなっていた周りが見えたりと、それぞれの気付きを大切にしていきます。

身体が硬かったり、運動不足な方、男性、女性、どなたでもご参加いただけます。まずは是非ご体験ください。お待ちしております。

(AIヨガ)


2021年2月号

 

標準語としての健康気功~津村喬氏を偲んで~

杉本満喜子

  日本健康運動指導士会の鳥取県支部研修会で、「津村喬」に気功を講義してもらいました。その時、県中部にある、東郷湖に面した温泉に宿を取った。宿の名を「水明荘」というが「山紫水明の水明ですね」と風景と温泉を喜び、さらに、雪の季節も美しいと説明すると、「その時期にぜひもう一度来たい」と、控え気味に笑った顔を思い出しながら書いている。

 津村喬が草津いる頃は、鳥取を車で早朝に発ち、その日の内に車で帰る過密スケジュールであったが、津村節の気功講義が面白くて、せっせと通った。健康気功が産声を上げる前、中国の国家プロジェクトの内容を、いち早く持ち帰って紹介する話には、ワクワクした。中国にも津村喬にも熱があったのを、昨日のように覚えている。健康気功の黎明期は、「伝統功法を尊重しつつ、科学的手法を用いる研究を公表している中国国家体育総局の、本気が感じられたし…健康気功から目が離せなかった。」と、健康気功八段錦テキストの訳者「橘逸郎」はあとがきに記している。その通りだと思う。

 今ある日本健康気功協会は、この熱を中国と歩みを一つにして、津村喬が日本に同志を求めて発足した気功団体である。津村喬が残したこの偉業は、継承の責任を、私たちに問いかけてくる。

 津村喬は、文をよく書き、キャッチコピーには定評があったが、「健身気功は気功の標準語」というのがある。

どういうことかというと、「数千年の歴史を持つ気功文化の精華を取り入れ、糟糠(そうこう/値打ちのないもの)を取り去り、時代に合わせてリニューアルしました。科学を重んじて運動学や生理学の視点から運動の強度や順序を安全にし、練習しやすくしてあります。予備勢や収勢はウォーミングアップとクールダウンです。古い気功にはありません。練習用の音楽も専門家に作ってもらいました。どうでしょう。世界中の皆さん」という、経験と内容を十文字程度に表現した津村節で、見事な才能です。

 時の経過とともに伝統気功を究めたい人や、動きの正確さや美しさの優劣を競う人、ビジネスとして考える人も出てきた。それは時代の流れの中で、当然出てくるだろうし間違いではない。でも、考えてみて欲しい。ピラティス※1やフェルデンクライス※2や筋膜リリース※3は、東洋の伝統的な動きや、目に見えないエネルギーを科学の目でとらえ直し、時代の切実な要求に応えんがために研究されて世界に出たものだ。

 津村喬が亡くなった今、日本健身気功協会にお願いしたい。時代の要求に向き合う気功文化の日本センターとしての一面も担って欲しいと。中国も日本も欧米も、人の健康や命のために、気功を通して貢献しようよというのが「津村喬」の目指した夢であったと思うから。

 ねえ、津村喬先生、それでいいかな。

※1身体のストレッチ、筋力強化、そしてバランス強化を目的としてデザインされたエクササイズと身体の動作法。

※2指導者の動きを見て真似するのではなく、各人の自発的な動きで、自然に引き出される動きを重視するもの。

※3筋膜は筋肉を覆っている細胞膜のこと。筋膜が萎縮したり癒着してしまうと肩こりとか腰痛の原因になったり、筋肉の可動域が狭くなって代謝が落るのを直すのが筋膜リリース。 


2021年4月号

 

我が青春の思い出の洋画女優達

小谷陽一郎

  はじめまして、この度映画に係る文章の作成をお願いされまして投稿させていただきました。   リフレプラザ倉吉さんでは、いつも映画を観させてもらって非常にありがたくおもっています。

 さて洋画大好きの私と映画とのつながりは、私の幼い頃に遡ります。幼い頃、母が実家へ里帰りする際には途中でいつも映画館に立ち寄っていました。何十年も前になくなってしまったのですが、年配の方ならご存知の日本館です。図書館に連れて行ってもらったことは全然ないのに、映画好き(主に邦画)の母の影響が多分に           あり映画のとりこになってしまいました。映画を観る前の期待感と観た後の満足感は、往年の映画でたまにめぐりあいますが、今ではそれに匹敵するわくわくするような感情はなかなか味わうことができません。当時は倉吉には日本館・富士館・有楽座・旭座といった映画館があり、当時では数少ない娯楽のひとつでした。

 巡回映画といって、各公民館で上映されたりもしていて、映画全盛時代でした。私の英語好きの原因は、こうした幼い頃の映画の影響によるものです。現在では、テレビでも映画専門チャンネル等で洋画を観る機会は随分と多くなっていますが、当時は、テレビでもほとんど洋画を観ることは限られていて、待ちこがれていました。テレビ人気シリーズでは、ナポレオンソロ・セイント等が私の好みでした

以前は西部劇全盛時代でしたが、インディアンがいつも悪役であり、近年では人種差別との関連で見直しがされています。よくよく考えてみれば、もともとの原住民はインディアンであって、白人はそれを侵略したのですからインディアンは悪くはないはずです。

 

キャンディスバーゲン主演(役名:クレスタ・リー)のソルジャーブルー(1970年)は、インディアンの視点から描かれた作品のひとつです。また、最近の映画でみかけられるのですが、不適切な表現を除外する傾向にあります。

 退職後は他の趣味が多くあるので、映画は週1回と決めて「リフレプラザ倉吉」に通っています。先日ふと思いつきまして、往年の洋画女優と代表作を、メモ書きしてみたら50人ほどあり、翌日、久しぶりに自分の青春の思い出として、幸いにも廃棄から逃れていた洋画雑誌「スクリーン」3冊を探し出し、めくってみたところ50人ほど思い出しパソコン入力をしたところ、追加トータルで100人余りになりました。一番好きな女優キャンディスバーゲン等が随所に登場しており、当時を思い出してしばらく読みふけりました。

 長年の歳月で記憶から遠ざかっていた懐かしい数々の女優と映画がよみがえりました。男優については、ある程度は知っていますが、紙面の都合で省略します。

 映画評論家水野晴男さんのせりふですが、本当に映画って素晴らしいですね。「さいならさいなら」で有名な映画評論家淀川長治さんは、人生のほとんどが映画で充実していたそうです。                 

 洋画に興味のある方で、ご一報いただき対談できれば、私としましてはうれしいかぎりです。

 

(倉吉市国分寺在住) 


2021年5月号

 

延期していたバースデーコンサートはハワイアロハホールで開催

河田 強

 35年目を迎えた打吹音楽倶楽部ブレーメンも、昨年は新型コロナウイルス感染症の影響により、一時は合奏練習ができなくて先行きの見えない状況の中、活動を暗中模索する一年でした。団員は社会人で福祉保健関係、教育関係、理容、医療関係、接待・営業、公務員等々、様々な職業に就いています。当然の事ながら生活と仕事が優先です(何より命が優先)から、趣味の音楽活動まで気持ちも時間も余裕の無い日々を過ごしています。なんとか倉吉未来中心大ホールでの録音会を行い、3曲だけですがSNS配信することがやっとでした。無観客の録音会ではありましたが、大ホールでの演奏はとっても気持ち良く、ホール演奏できることの喜びを再認識した時間でした。「やっぱり大ホールはいいなぁ」です。そして一緒に合奏できる仲間のいることの大切さをしみじみ感じました。

中学・高校と吹奏楽に触れ、楽器を演奏する楽しみを社会人になっても続けたいという想いで設立されてから、たくさんの団員が関わり、いろいろな所でたくさんの演奏をしてきました。

今年のアザレア音楽祭でのコンサートは今回の企画方針から執り行いませんので、別の形でのコンサートを企画しました。7月4日(日)午後2時から倉吉未来中心アトリウムにおいて、いろいろなアンサンブルを中心とした演奏をご披露したいと思います。もちろん新型コロナウイルス感染症対策も講じた上で、オープンな空間での楽しい企画としますので、予定通り開催できることを祈っています。

また、昨年延期とした第33回定期演奏会バースデーコンサートを、今年は場所をハワイアロハホールに変えて開催する予定です。毎回、テーマやストーリー性を持って選曲してプログラムを考え、団員各自の能力・才能を最大限に引き出す等の工夫を重ねて、新たな歴史を刻みたいと思います。

今後も、たくさんの方に感謝し心新たに、演奏する自分たちの楽しみだけでなく、聴いて頂く方々も楽しくハッピーにできる演奏を心掛けていきたいと思います。団員はいつも募集していますので、一緒に楽しみましょう。引き続き、倉吉市民はじめ中部地区の皆さんに応援いただけたらと思います。

ぜひ、7月4日(日)は倉吉未来中心アトリウムへ、12月5日(日)はハワイアロハホールへお出掛けください。ブレーメン共々、よろしくお願いします。

(打吹音楽倶楽部ブレーメン 団長)


2021年6月号

 

コロナ禍での学校図書館行事

小原葉子

去る二月三日の昼休み、司書として勤務する米子白鳳高校で図書館バレンタインコンサートを開催しました。出演は本校生徒・教職員有志、運営は定時制図書委員の生徒たちです。ふだんは静かな図書館に「チョコレイト・ディスコ」等、この時季にピッタリの音楽が満ち溢れ楽しいひとときとなりました。

コロナ禍でまだ集まって歌う気になれず合唱団の練習を休んでいる中、今年は図書館コンサートを実施しないつもりでした。しかし平成二十八年からクリスマスに毎年開催し通信制生徒も出演する恒例行事になっていたからでしょうか、「今年はやらないの?」「今年は出演できますよ」という声が校内であがり、期待に応えるべく思い切って実施に踏み切りました。とは言え、ここでクラスターを発生させてはいけません。感染症防止策として、①館内常時換気、手指消毒とマスク着用の徹底に加え、②出演は楽器ソロ演奏に限定 ③客席数の半減 ④校内リモート会場へのライブ配信 ⑤出演者と客席の間への飛沫防止シート設置を行いました。 

当日は図書委員の生徒たちが設営、装飾、受付、司会進行、誘導、ステージ、リモート会場係を分担。飛沫防止シート越しではありましたが、気持ちよく演奏し安心して聴いていただけたのではないかと思います。ライブ配信に会議用アプリのグーグルミートを使用したため、リモート会場での音質は決して十分ではありませんでしたが、初の試みながら関係者の協力を得て滞りなく配信することができました。次の機会があれば、より高音質な配信ができるよう研究したいと思います。

***

 続けて二月五日の放課後、レジンアートを体験する会を図書館で開催しました。レジンアートとはUVレジン液という透明の樹脂を使った工芸で、型や枠に液を流しUVライトを照射して固めるという工程を繰り返すことで、オリジナルの作品ができます。ちょうど図書委員の中に、自作のレジンアクセサリー販売が町内のフリーマーケットで好評を博した生徒達がいたので、インストラクターはその二人が務めました。感染症防止策として上記①に加え、②参加定員を四人に限定し ③インストラクターと参加者の間にアクリル板を設置しました。作品づくりに集中する姿や熱心に教える姿、完成作品を満足そうに持ち帰る姿を見て、生徒が物づくり等の得意なことを教えるイベントをまた学校図書館で実施したいと感じました。

(合唱団こさじ)

初体験とは思えぬ完成品



2021年7月号

 

音楽と私

小椋恵理子

私は合唱団コール・げんげに所属しています。そもそも私は小さい頃から、今みたいにカラオケの無い時代、親戚が集まればギターを伴奏に歌が始まり賑やかに食事と音楽を楽しむ様子をずっと見てきました。 

昨年の朝ドラ「エール」では主人公のモデルである古関裕而さん作曲の曲を知ることになりました。亡き父が良く歌っていた曲が多くあり、中でも「長崎の鐘」は、とても印象に残っていて、この曲を聴くと歌っている父の姿を懐かしく思い出します。父は、若い頃、楽団(バンド)を組んでいて主に司会と歌を担当していたそうだ。その父の影響を受けてか音楽は大好きでした。そういえばフォークソングが流行った頃は父にギターを教えてもらい弾き語りしたなぁ!

 結婚後、小学校の役員で知り合った団員からお誘いを受け入団することになりました。その頃は、山本喜三先生のご指導のもと色んな曲を歌いましたが、中でもシャンソンや喜三先生編曲の曲はとても楽しく歌うことができました。

 その後、仕事が忙しくなり、帰りが遅くなってしまい練習に遅刻や休むことが多くなり、コーラスからだんだんと足が遠き、ついには休団してしまいました。

転機になったのは、勤めていた会社に転勤して来られた村上さんの存在がありました。村上さんは、混声合唱をしたいという希望があり、色んなグループが出演するアザレア音楽祭ファイナルコンサートを一緒に聴きに行きました。その後、村上さんは「げんげ」に入団され、それをきっかけに私も復団しました。後でわかった事ですが、彼は鳥取男性合唱団にも入り、転勤前から所属の大阪ナニワコラリアーズにも練習に行かれ、コンサートにも参加し、精力的に合唱活動しておられました。その村上さんもまた転勤され一緒に歌うことが出来なくなりました。

それから何年か後、指導者が喜三先生から小谷弘幸先生に変わりましたが、年齢が上の私たちにもすぐに馴染んで指導して下さり、とても楽しく練習できました。そうして小谷先生の指導のもとコンサートや施設、病院を訪問する活動、更にはフェスティバル参加にも挑戦しました。

個人的には、定年退職した時期に小谷先生が立ち上げられた中学生から二十代の若者で構成される合唱団、「倉吉ユースクワイアにじ」事務局をさせていただきました。大変なこともありましたが、若い団員の成長は喜びであり、合唱公演、ミュージカルなど、みんなで作り上げていく楽しさも経験させていただきました。

考えてみれば音楽を通してたくさんの人との出会いがあり、合唱の楽しさも知ることができました。これからも音楽を愛し続けていきたいと思います。

最近はコロナ禍で、イベントもたくさん中止になり、当たり前に合唱することができなくなりとても残念です。コロナが早く収束して何の心配も無く歌える日が来ますように。


2021年8月号

 

アザレア音楽祭 わくわくする企画を考えていきたい 

更田匡史

 今年で38回目を数えたアザレア音楽祭にスタッフとしてかかわらせていただきました。昨年はコロナ感染症拡大のために実施できませんでしたが、幸いにも鳥取県は感染が拡大しておらず、開催にこぎつけることができました。ただ、オープニングやファイナルのステージが中止となったことは残念で仕方がありませんが、感染の拡大を懸念される声も多くある中で、正しい判断だったと思います。その分、来年度は大ホールでのオープニングコンサートに期待したいものです。

演奏会当日は、開場前に検温場所やチケット売り場を設置し、お手伝いをしていただく方々と手順を確認したり、チラシの挟み込みをしたりします。開場時刻の10分前にはスタンバイしていますが、毎回この開場時刻に合わせて演奏会を聞きに来られる方がおられます。この音楽祭を楽しみにされていることが伝わってきます。そんなお客様を見ながら、安全で満足していただける演奏会になるように、運営をしていくことの大切さを感じています。

会場はコロナ感染症対策として、席を1メートル以上離し、客席数を例年に比して減らし、換気をするなど、できることは全て行いました。来場された方全員に、手指消毒をしてもらい、検温をし、体調を確認し、住所や名前、電話番号を毎回記入してもらいました。なかには「前回書いたけど今回も書くの?」と言われる方もありましたが、その都度記入していただきました。時には受付が混雑することもありましたが、コロナ禍、誰一人として不満を言われることなく協力的で、演奏会を楽しみに来られていることが、バタバタとしてしまっても救いでした。

来年は39回。そして再来年はいよいよ40回目を迎えます。長い音楽祭の歴史には紆余曲折いろいろあったことと推察します。そんな中40回目は一つの区切りとして、だれもがわくわくするような企画を考えていきたいものです。そして、そこからまた新しい音楽祭の歴史が始まっていくことと思います。演奏会を支えてくださる多くの協賛者のみなさんや、いつでも本気の計羽先生をはじめスタッフとともに、自分もその空間にかかわれたらと今から思っているところです。 


2021年9月号

 

煎茶道を学んで

森 翆美

 「コロナウィルスのワクチンは接種されましたか?」最近の日常挨拶ですね。

 先日島根支部の先生から、夏の茶道具に入れ替えて、この夏初めての冷茶点前をしました。とっても美味しく、癒されましたとのメールをいただきました。

 当初、煎茶教室とは? お茶を美味しく淹れることのみを学ぶ教室と思っておりました。

 小笠原流煎茶道は、たくさんのお点前があります。珍しいお道具としては瓢箪で作られた「瓢杓」と言って茶釜のお湯をこの瓢杓を使ってお点前で淹れたお茶がとても美味しいのです。

 最初はお点前の基本の流れを身につけます。

手順は合理的に出来ているので、一つ一つの意味を理解すれば初めての方でもスムースに習得できます。又、お点前の稽古のほか、お客様の作法としてお茶とお菓子のいただき方も学びます。その他お煎茶のお稽古では、日常生活に応用できることがたくさんあります。

 小笠原流五ヶ條の中に「誠をもってのぞむこと」とあります。

誠を以ってお稽古に励むと家元より免状資格をいただけます。

 免状資格を取得することにより、教室を持つこともできます。家元に出向いて家元、副家元直々にお点前等の教授いただけます。

 最近はコロナ禍の影響で点前や美しい立ち居振る舞いなどお茶会で披露することが困難となり残念です。

 以前のようにお茶会においでくださる方が「美味しかったですよ。」「どこの茶葉を使っていますか。」と笑顔で帰られる姿を見られるのはいつのことでしようか。

 新型コロナウィルスの一日も早い終息を願い、世界中が平和になりますようにと祈りつつ。

 朝早く窓をあけ、左手に蒜山三山を、右手に「秀峰大山」わが家からは「裏大山」を望み、大きく深呼吸をして、最近の暑い時期には「冷茶点前」で朝の一煎を頂き、コロナ禍に負けないでこれからの人生をゆっくりと歩みたいと思います。

(倉吉市文化活動センター煎茶教室主宰)


2021年10月号

 

一年が経ちました

渡辺 真貴子 

 皆様、はじめまして。昨年の9月よりアザレア音楽祭の実行委員として参加させていただいております。

 私は先の鳥取県中部地震の頃、両親が暮らす倉吉に移ってきました。倉吉には知り合いがほとんど無かったのですが、音楽祭に関わることで、やっと倉吉に馴染んできました。

 また、音楽祭以外にもチャンスをいただきました。

 実行委員会での自己紹介の際、関西にいる時は、会社員の傍ら「ピアノのBGM演奏をしていた」とお伝えしましたら、計羽先生より、倉吉市文化活動センターで年始に開催される「倉吉の版画秀作展」のギャラリーコンサートで演奏してみませんか…と声を掛けていただきました。ひさびさの人前での演奏でしたが、思い切ってお引き受けしました。

 映画音楽中心に10曲程演奏させていただきました。

 当日はとても素敵なプログラムを作ってくださり、記念写真と一緒に、自宅のピアノの上に飾っています。

 その後「ポピュラーピアノ教室」のお話しもいただきました。

 計羽先生、ありがとうございました。

 「ポピュラーピアノ」はコード譜(メロディー譜)を使い、アレンジして演奏します。私もピアノは小学校卒業まで。社会人になってから再開しました。

 初心者の方でも、少しクラッシックピアノの経験がある方ならなおさら、クラッシックとはひと味違う楽しさを味わっていただけると思います。

 現在通われてる初心者の生徒さんですが、次の課題曲はご本人の希望で「リンゴの唄」

に決まりました。私も初挑戦です。

 原曲はCm(ハ短調)ですが、♭が3っ付くので、Am(イ短調)に移調させよう…音符もすこし省いて、リズムもシンプルに…など。楽譜も自在に変えます。

 「コードネーム」も慣れると自身の好きな響きに。リズムも2ビート・8ビート・ワルツ・ボサノバなど、その日の気分で変えられます。

 ピアノの前であれこれ考えるのは、とても楽しいです。

 先日、次回の音楽祭の準備が始まりました。前回は全公演「サロンコンサート」でしたが、来春は情勢が落ち着き、今まで通りのコンサートが開催されることでしょう。

 どうぞご期待ください。 


2021年11月号

 

ご挨拶と抱負

三上大輔

 皆様初めまして、昨年11月より倉吉文化団体協議会で働くこととなりました、三上大輔と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

前職は琴浦町カウベルホールで舞台技術、イベントの企画運営、施設管理を行っておりました。琴浦町カウベルホールは倉文協会員の皆様もご縁のある方もいると思います。しかしながら施設の老朽化と行政の予算の関係もあり、惜しまれながらも閉館となってしまいました。カウベルホールは全国でも有数の響きの良さを持っており、過去に著名な音楽家のコンサートも開かれています。本当に残念なことですが、これも時代の移り変わりなのかと捉えるしかないのでしょう。私がカウベルホールで特に力を入れていたことは、利用者様の思いを実現するためのホールにすること、子どもたちが芸術文化に触れ、成長していくうえでの助けとなるような事業を行うこと、地域の人たちに参画してもらい、愛されるホールになることを目指していました。6年間在籍していましたが、種をまいてこれから育てていくというところで道を閉ざされてしまったことは今でも悔いが残っています。私も自身が小学生のころ、学校の芸術鑑賞で劇団四季のミュージカルを見たことは、今でも記憶に残っています。そういった体験からも、子どもたちにも私と同じように、より身近に芸術に触れる機会を設定することで、何かしらの影響を与えられるのではないかと思い特に力を入れて取り組んでいました。文化教室の設定、ワークショップの実施、芸術鑑賞事業、舞台技術支援と琴浦町の小中学校は、ほぼ訪問しました。芸術に触れた後の子どもたちははっきりと分かるくらい表情が変わっていきます。こういった取り組みを続けることが、地域に根付く文化を形成し、育み、文化レベルの向上につながるのではないだろうかと思っています。今は倉吉市文化活動センターに在籍し半年が過ぎ、やっと業務も落ち着いてきました。琴浦町カウベルホールで培ったノウハウと経験を活かし、この施設でも同じような取り組みに力を入れていきたいと思います。倉吉市文化活動センターも古い施設でありますが、活力のある皆に愛される施設となるように日々邁進してまいりたいと思いますので、会員の皆様にもお力添えいただきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。


2021年12月号

 

 

「使命」を持って…

小泉和子    

今年5月からリフレプラザ倉吉で「箏」のレッスンをさせていただいています。

いきなりですが、「箏(こと)」と「琴(こと)」は同じ物として取り上げられているようですが、実は全く違う物なんです。

柱の有る「ことを『箏』、柱の無い「こと」を『琴』と呼びます。

以前はこの「箏」という字に「そう」「という読み方しか無かった為、いろいろ混乱が生じてきました。1994年に「教育用音楽用語 最新版」文「そう」又は「こと」と読んでも差し支えないが、「琴」の字を当てるのは不適と明記されています。

さて、前置きが長くなりましたが、5月、1人だった生徒が、10月には、4人になりました。これもリフレプラザさんのお蔭だと感謝しています。

その中のお二人は経験者で、流石、手の運びが自然で綺麗です。

後のお二人は、何と!親子です。しかもお母さんの方は、以前私が、エレクトーンを教えていた時の生徒です。今や中学2年生の女の子のお母さん!ケーキ屋Chez MAOTORAを経営していて、頼もしい母親に成長していました。

進度の違う生徒のグループレッスンですが、レッスンの最後に合奏が出来るよう楽譜を工夫して楽しく学ぶをモットーにしています。

一番気を付けているのは、やはり、「筝の基礎をしっかり伝えたい!」「どうしたら、もっと弾きたいと思ってもらえるかな?」というところです。

亡くなった母が、私が20代の頃に言っていました。

「邦楽の灯が消えないようにしないといけないね!」って。

この頃の私は、エレクトーンに夢中だったので「別に、邦楽なんて筝なんて…」と、他人事と聞いていました。

しかし、邦楽関係の素敵な人達の出逢いや、家族の死や知人の死に直面したりするうちに、これからの自分の使命は…可能性は…何処まで出来るだろう…と、考えるようになりました。「私も歳をとったものだなァ」と苦笑しています。歳を重ねると、諦めたり、歳相応の行動、無理の無い生活をと考えます。それも時には必要でしょう。

しかし、小さな円を描いて自分だけ満足して逝くのか?大きな円の一部分の弧で逝くのか?…大きな円だと自分が生きている間には未完成に終わるかもしれません。しかし誰かがその後を引き継いでいつの日か大きな円を完成してくれれば良いのだと思います。

今、私は小学校4年生から始めた邦楽に携わっています。

引き継ぐ人達を育てなくてはいけませんが、日本人なのに、和楽器に触れるチャンスが少なかったり、古臭くて興味が無い…とか、イメージが固定化しているような気がします。

今、私に必要なのは、演奏能力をレベルアップし邦楽をしている人達が「楽しそうにしているなあ」と見てもらう事!!

何か趣味を持ちたいと考えている人達に「筝をやってみよう!」と言って貰えるように…若者が「邦楽って面白い!!カッコイイ!!…と思って貰えるように、仕掛けて行かなければならないと思っています。微力でもこれが、私の「使命」かな?と思います。大きな円の途中ですが、完成に近づけるよう、皆さんのお力をお借りして進んで行きたいと思います。


2022年1月号

 

「第33回連合展」を終えて

南場兄一

 今年の連合展が開催する前は、実は一抹の不安を抱いていた。何日目だったか、出品者の一人である私、はその会場である倉吉博物館を訪ねた。平日にもかかわらず、その日はかなりの来場者があった。4つの展示室は多様な、見応えのある作品で埋まった。不安は一掃された感もあったが、会場を回りながら、次第に何か足りないものを感じ、その思いは募った。いったい何なのだろうか、と。

ところで連合展を正式に述べると「倉吉文化団体協議会連合展」だが、かつてはしばらくの間は「砂丘のふらここ展」の別称で開催した。その当時、同展の実行委員の一人であった私は、8年前の「砂丘のふらここ展2013」の別称がいたく気に入っていた。もちろん語呂がいいというだけの理由ではない。

 「砂丘のふらここ」は河本緑石の自由律の句「海ははるかなり砂丘のふらここ」に由来する。彼は砂丘社の会員の一人として句や評論や油彩画などを発表した。元来、砂丘社はその他に詩や戯曲、音楽会や演劇公演など、総合的な芸術運動を展開し、鳥取の芸術文化の発展に貢献したとされる。

 砂丘社は中井金三や前田寛治らで知られるが、いっぽう河本緑石の名前はあまり知られていない。いま鳥取県中部地区の文化活動を語るとき、彼の存在はもっと評価されていいと思う。それは早逝したせいもあって残された作品は多くないが、彼の活動は多岐にわたり、人と人との出会いと交流の場を作ろうと腐心した跡が見えるからだ。

 倉吉文化団体協議会は「倉文協」。いっぽう私の属する北栄町文化団体協議会を「北文協」と自ら呼んでいる。北文協は、かつては北栄町に鳥取県立美術館を招致する運動を展開していた。結果的に倉吉市が招致に成功し、北栄町はわずかに及ばなかった。

 いま日本全国で都道府県立美術館の存在しないのは鳥取県だけだ。令和6年度に開館する新しい鳥取県立美術館は日本で47番目の、日本で最後に姿を見せる県立美術館だ。全国の心ある人々は注目しているだろう、はたして鳥取県はどんな美術館を創るのか、と。

 けっして箱物であってはならない。県民の県民のための美術館であってほしい。それは、砂丘社のメンバーが目指した壮大で熱気の溢れる創作の場であったように。

 いま倉文協の、とくに連合展に関わるメンバーが新しい鳥取県立美術館の創設にむけて、県民の一人として、しなくてはならないことやできることとは何だろう。第33回連合展の会場を巡りながら考えた。

新しい美術館は令和6年度に、正確に述べると令和7年の3月に、まさに春の満開の桜を待ちわびる頃に開館する。倉文協と北文協の会員が待ち望んだ美術館が倉吉パークスクエアの一角に姿を現わすはずだ。

(倉文協会員、北栄町文化団体協議会会長)


2022年2月号

 

 

コロナでも海外

鈴木百百子

この度仕事に区切りをつけ、自由な身になってみればこのコロナ禍。海外旅行が叶うのはいつになることかと、同じ思いの方は沢山おられるのではないでしょうか。ということで昔昔のフランス一人旅の回想禄です。キッカケは仕事の壁ドン、素敵な壁ドンではなく、能力の壁にドーンと突き当たったのでした。気分を一新するため旅立ちました。パリに着いてまず向かったのはホテル近くのスーパー。水やワインを買い込み、レジ袋に入れたものの、歩いている途中で底が抜け、石畳をころころ転がりました。弱っ!レジ袋弱っ!これがパリの第一印象。笑いながら拾い集めました。

パリでぼーっと過ごす筈が南フランスに友人が来ることがわかりそちらへ移動。TGV(新幹線)では予定時刻になっても到着しないため、乗り過ごしたのかとそわそわしている私。周りも気づいていたのか「ここはどこ?」私の一言に、待ってましたとばかりに「アヴィニヨン!」って一斉に答えてくれました。なんて優しい人たち!

駅の柵に座っている私を見つけてくれた友人と、車でAix-en-Provence音楽祭へと繰り出しました。画家のポール・セザンヌが晩年描き続けたサント・ヴィクトワール山を見ながら様々なところから流れてくる音楽を満喫。屋台の美しい花の数々、果物、色とりどりの下着。えっ?下着?屋台で売っていたのにびっくり。音楽祭の目的は夜10時からのベルリンフィルソリストによる野外コンサート。演奏途中に足元を猫が走り抜けていったのもご愛敬。素晴らしい時間でした。ホテルの名もモーツアルトと、演出に一役買ってくれました。頼りになる友人はその数年後ベルリンフィルの演奏会にヴィオラで参加。演奏する彼女の姿をインターネットで見ながら喜びました。

さて、懐かしい旅を思い出したところで、Google Earthで自分が歩いたパリの道や焼けてしまったノートルダム寺院、エクス=アン=プロヴァンスの広場などをたどりながら旅に行ける日を夢見て過ごすことにしましょう。


2022年3月号

 

美しくも野蛮に人生を変えてしまうような映画たち

三宅優子

 はじめまして、湯梨浜町松崎で「ジグシアター」という小さな映画館をしている柴田修兵と三宅優子です。

 2021年2月まで大阪に住んでいましたが、子どもの誕生をきっかけに鳥取県に引っ越してきました。食べ物はおいしいし、自然は美しいし、住んでいる人は優しくて面白いし、もう言うことなし!

 唯一困ったのは「ミニシアター」がないことでした。美しくも野蛮に人生を変えてしまうような映画たちを上映する、そんな映画館が近くにあって欲しい。だったら作ってみようと昨年7月にジグシアターを立ち上げました。毎月1企画程度を上映する約30席の小さな劇場ですが、県内外から沢山のお客さんが足を運んでくださっています。

 2月26日からは、太田光海監督の『カナルタ 螺旋状の夢』と、小田香監督の『セノーテ』の2本を上映します。『カナルタ』はエクアドル南部のアマゾンのシュアール族を、『セノーテ』はメキシコのユカタン半島に点在する泉の中を映しています。

 19世紀の産業革命以後、機械化・分業化によって人間の働きがその生活から遠く離れてしまった状況をマルクスは「疎外」という言葉で表しましたが、この2本の映画はそういった「世界からの阻害」に正面から対峙しているように思います。

 監督自らカメラを持ってその土地に分け入り、そこで暮らす人と交わり、撮影と編集という行為を通して、気が遠くなるほどに他者の記憶や風土を体験します。知ること、感じること、わかれないこと。

 既存の「ドキュメンタリー/フィクション」という区分からは逸脱し、安心できるルールも指針もなく、どこか頼りなく疑わしげでもある。アマゾンの森の中で足元はぐらつき続け、メキシコの水の中で前後左右も定かでなく浮遊する。

 全身の感覚を研ぎ澄まして味わうこの体験や徒労には、居心地の良さも感じます。つまりは我々の、世界からの疎外感をできるだけ薄くするために。

 ジグシアターで素晴らしい映画とともにお待ちしています。     (jig theater) 


2022年4月号

 

日南町とフッペルピアノ

吉田章一

「日南の 山ふところは 記紀の国」

 父が日野郡日南町矢戸の出身である作家の松本清張が、日南町の印象を読んだ句である。

 私は、2019年4月から日南町に勤務し、米子市から約1時間かけて通勤している。道中、徐々に山が視界を埋め、更に進むと急に町が開けてくる。町内には、「御墓山」「船通山」など神話に関係した地名が多く残っている。正に、「山ふところは記紀の国」である。

 春には、鮮やかな緑に満ち、高い空に木々が屹立する。夏には、ヒメボタルとゲンジボタルが飛び交い、幻想的な光景である。秋には、樹齢約100年の大銀杏が黄金色の葉を蓄え、冬は、空気が冴え渡り、満天の星が夜空を埋め尽くす。

 その大銀杏のある日野上小学校(現在は日南小学校に統合)に、日本国内に3台しか現存していないフッペル(HUPFER)社製のピアノがあった(現在は、日南町文化センターに展示)。残りの2台は、佐賀県鳥栖(映画「月光の夏」で特攻隊員が出撃前に弾いたとされる)と鹿児島県知覧にある。元日南町教育長の三森不二夫先生が、日南町のフッペルピアノの来歴を詳細に調査されている。

日南町のフッペルピアノは、昭和4年(1929年)同町矢戸出身で大阪で医師をしていた田中正慶氏が日野上小学校に寄付したものである。このピアノで三森先生ご自身も小学生の時に音楽を習い、教師としても音楽を教えておられた。

三森先生が小学5年生の時の担任 梅林彊輔(うめばやしきょうすけ)先生は、年度の途中で出征し、戦艦大和に乗船し、大和と共に海に沈んだ。その梅林先生が、出征の前日に別れゆく教え子達に万感の思いを込めて「感激の征途」という歌を詠み、同僚の田辺重雄先生がその歌に曲をつけたものが残っている。

日南町の自然の豊かさ、出征する決意、教え子達への別れの思いが、力強く哀愁溢れる旋律で歌われている、心に響く素晴らしい歌である。

どんな歌か興味を持たれた方は、私に声を掛けてください。いつでもどこでも歌います!

(鳥取オペラ協会副会長)


2022年5月号

 

河田 強 

一昨年からの新型コロナウイルス感染症の影響により、合奏練習ができなくて先行きの見えない状況が続く中、活動の暗中模索も3年目を迎えました。一昨年は倉吉未来中心大ホールで無観客の録音会を行い、3曲だけSNS配信することがやっとでした。昨年7月4日には、倉吉未来中心アトリウムにおいて、なんとかアンサンブルを中心とした演奏を行うことができました。

1年延期した第33回定期演奏会バースデーコンサートは、ハワイアロハホールにて開催することができました。ホールでの演奏はとっても気持ち良く、ホール演奏できることの喜びを再認識した時間でした。「観客に聴いて頂き、やっぱりホール演奏はいいなぁ」です。そして一緒に合奏できる仲間のいることの大切さをしみじみと感じました。

団員は社会人で教育関係、福祉保健関係、理容、医療関係、接待・営業、公務員等々、様々な職業に就いています。当然の事ながら生活と仕事が優先ですから、趣味の音楽活動まで気持ちも時間も余裕の無い日々を過ごしています。そして今、第6波の急拡大により、何回目かの練習休止です。

企画と練習が間に合わず、とうとう5月のアザレア音楽祭参加も断念せざるを得ない状況となり、今年も6月26日(日)倉吉未来中心アトリウムコンサートを急遽計画しました。春になれば活動再開できることを祈るばかりです。第34回定期演奏会バースデーコンサートは、12月11日(日)倉吉未来中心大ホールにて開催予定としています。毎回、テーマやストーリー性を持ってプログラムを考え、団員各自の能力・才能を最大限に引き出す等の工夫を重ねて、新たな歴史を刻み続けたいと思います。

中学・高校と吹奏楽に触れ、楽器を演奏する楽しみを社会人になっても続けたいという想いで設立されてから35年間、たくさんの団員が関わり、いろいろな所でたくさんの演奏をしてきました。

今後も、たくさんの方に感謝し心新たに、演奏する自分たちの楽しみだけでなく、聴いて頂く方々も楽しくハッピーにできる演奏を心掛けていきたいと思います。団員はいつも募集していますので、一緒に楽しみましょう。引き続き、倉吉市民はじめ中部地区の皆さんに応援いただけたらと思います。ブレーメン共々、よろしくお願いします。(2022.2.6) 


2022年6月号

 

2022年度とりアートメイン事業

オペラ「ドン・ジョヴァンニ」に向けて

寺内智子

ドイツのマイニンゲン国立歌劇場の専属第一バリトンとして活躍中の谷口伸氏(鳥取市出身)が、タイトルロールを務めるとりアートメイン事業オペラ「ドン・ジョヴァンニ」公演(8月28日㈰とりぎん文化会館梨花ホール14:00~)まで、いよいよ2か月となりました。

実は、この度の公演では新しい試みを行っています。新運営メンバーで構成される企画運営部・制作管理部・広報マーケティング部を三本の柱とし、様々な協議を重ね、試行錯誤しながらオペラ公演におけるマネージメントを一から学び運営しています。

そんな私たちが2019年6月に谷口さんから出演オファーの返事をいただき喜んだのも束の間、様々な問題が次から次へと起こりました。未知のウイルス拡大、公演延期、先行きの見えない状況の中、さながら荒海に漂う小舟のような私たちの道標は計羽孝之先生の言葉でした。この度、プロデューサーという重大な役割を初めて任せていただき、公演を支える側の苦労を、身をもって経験するとともにオペラ愛を改めて感じています。

18世紀後半の激動の時代に生きたモーツァルトは、ドン・ジョヴァンニが地獄へ葬り去られた後の世界に、どのような未来を思い描いていたのでしょう。連日テレビに映し出される惨状を目の当たりにし、私達は「これからどのように生きるべきか」この作品を通して問われている気がしてなりません。

先日、ドイツの谷口さんから「夏、いい公演にするで~。」と頼もしいメッセージ。そうだ、こんな時代だからこそ音楽で生きる力を養うとりアートにしよう!8月28日とりぎん文化会館梨花ホールで皆様のご来場を心よりお待ちしております!! (とりアートオペラ・総合プロデューサー) 


2022年7月号

 

アザレア音楽祭へのご支援感謝いたします‼

田中希美

 今年も5月8日に、皆さまのご支援とご厚情により、アザレア音楽祭オープニングコンサートを開催することができました。未来中心大ホールでの、オープニングは、コロナのための開催延期や、未来中心改修工事のため、3年ぶりです。

 このオープニングコンサートには、多くのお客様がご来場くださり、「コンサートを楽しみにしていました。」などと、あたたかい声をかけて頂きました。そしてその模様を各報道機関に取り上げていただき、「テレビで見ました。」など多くの反響がありました。

 アザレア音楽祭では、実行委員だけでなく、各合唱団の皆が一団となり、開場前のパンフレットの挟み込みから、検温、受付、司会進行、ドアの開閉まで、様々な仕事をしています。私が、スタッフをして、良かったなと感じるのは、ご来場いただいたお客様に「ありがとう。」と言って頂き、お客様の笑顔を見る瞬間です。それが私の元気の源で頑張ろうという活力になっています。それだけでなく、お客様がまるで皆勤賞のように、早くからご来場くださり、とてもコンサートを楽しみにして頂いていることも励みとなっております。

 サロンコンサートで感じることは、お客様と、出演者が、一体となり感動を分かち合う場所というだけでなく、出演者をより身近に感じることができる場所で音楽をより身近に感じることのできる場所だということです。

 アザレア音楽祭も来年で40年の節目の年を迎えます。私の半生より長い時間、音楽祭を愛してご支援頂きご尽力された方がたには頭が下がります。40年の節目のコンサートがより良いものになるよう、私も微力ながらお手伝いできたらなと思っています。

 アザレア音楽祭も、折り返し地点を過ぎました。ファイナルの瞬間を笑顔で迎えられるよう、私も全力で駆け抜けようと思っています。

 多数のお客様のご来場を心よりお待ちしております。


2022年8月号

 

来年はもっと凄いアザレア音楽祭を提供!

森本 博美

風薫る5月の初旬から始まったアザレア音楽祭は、6月19日、無事にファイナルコンサートを迎えることが出来ました。アザレア音楽祭に関わってくださった皆様、足を運んでくださった皆様に感謝申し上げます。

  約1ヶ月半、長かったような短かったような…。無事に終わってよかった!運営委員会の一員として、ホッとしています。でも、すでに第40回アザレア音楽祭の構想は走り出しています。

  40回、言葉で言うのは簡単ですが、40年という歳月が流れたということ…。40年間続けることが、いかに大変なことか想像してみてください。アザレア音楽祭第1回の時に生まれた赤ちゃんが、40歳になるのです。倉吉市で、脈々と音楽祭が続いてきたことは奇跡だと思います。

  私は、昨年初めてアザレア音楽祭に、運営委員として関わりました。まだ、新米の委員です。

  昨年コロナ禍で、サロンコンサートのみの開催でした。音楽活動が制限される中、感染対策をして開いたオープニングコンサート。歌手の方と聴衆の皆様が一体となり、歌える喜び、聴ける喜びが会場に広がり、とても感動しました。そして迎えた今年の音楽祭、未来中心大ホールでのオープニングコンサート。私自身初めての体験で、ワクワク、ドキドキでした。素晴らしいコンサートでした。

  オープニングコンサートに初めて来られて、音楽祭のファンになってくださったお客様、県外からホームページを見て来てくださったお客様、常連のお客様、好きな演奏家のコンサートに欠かさず来られているお客様、すべてのお客様に、来年はもっと凄いアザレア音楽祭を提供できればと思います。

  第40回の音楽祭がどんな音楽祭になるか、運営委員新米の私も今からワクワクしています。

  今、運営委員会では、新たな委員を募集しています。

  一緒にワクワクしながら音楽祭を作り上げていく仲間が増えたらいいなと思う今日この頃です。